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魯山人 買取させていただきました
10 .03 .2021
鎌倉の骨董屋R antiquesです。
北大路魯山人の作品、鎌倉在住のお客様から
買取りさせていただきました!
陶芸家といえば魯山人!
彼の力強く、そして繊細な作品は多くの人を魅了しています。
魯山人は明治16(1883)年、京都の上賀茂神社の社家、つまりは神官の家に次男として生まれます。そう聞くと裕福なように思われますが、北大路家はまさに火の車!生活に窮していました。
そのため生まれてすぐ比叡山の先の農家へ里子に出されそれから転々と養家が変わり、厳しい扱いを受けます。そんな苛烈な幼少期で食材などの使い走りをした経験から、彼は四季折々の食材に触れ、食への知識を培い後の自分の糧としていったのです。
そして10代半ばに小遣い稼ぎから始めた書の才能が開花。
東京に出て書家を目指し、20〜30代にかけて様々な交友関係を広げていきます。
大正8年、古美術店を開き、その後「美食倶楽部」を発足、
その後「星岡茶寮」を引き継ぎ宮家、政財界、はじめ名士、文化人たちで賑わう、
東京随一の高級料亭に仕立て上げたそうです。
「星岡茶寮」で使う器、調度品を全て自作で揃えるというこだわりから、
鎌倉の「星岡窯」が本格化し自作の器 制作が始まります。
評判を聞きつけた百貨店から展示会の打診があり、数百点の作品を即売するほどでした。
その後、料亭経営を辞し、芸術活動に専念しました、
魯山人はどこの団体にも所属することなく、人間国宝の内定も辞退し、
独自の道を歩いて行きます。
魯山人の力強い、そして繊細な作品は彼の生き方そのものですね、
こんなエピソードがあります、
日支事変により中国との国交が途絶え、対中感情も悪い時に
中華服を着て中華街に食事に行ったそうです、中國文化を敬愛していた
魯山人はその中国を威圧するような日本の権力、権威に対し反発していたようです。
「魯山人は狂気の芸術家であるとか、人に対して傲慢不遜な態度をとるとか言われるが、
身近なお手伝いの人々を怒鳴り散らしているところを一度も見たことがない」
なんて話も伝えられています、まさに本物ですね!
私はこのエピソードを聞いてますます魯山人が好きになりました。
R antiques では
魯山人の作品、買取りいたします。
鎌倉、逗子、葉山、藤沢、辻堂、茅ヶ崎、平塚、大磯、小田原などの地域の骨董品の買い取りも行っております。
何かございましたらお気軽にご相談ください。